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川らしさとはなんだろうか

1. もくじ
  1. もくじ
  2. 川は生きている
  3. 川の力による作用
  4. 川と人間のいろいろな付き合い
  5. 河川の管理について
2. 川は生きている

「川らしさとはなんだろうか。」川についての活動をする時に川のことが分かっていないと、活動の方向がややもするとずれてしまうことがあるかもしれません。そもそも川の魅力とか原点は何か?ということを事例を交えながら話したいと思います。

自然の持っている脅威と魅力

たとえば子供の遊び場や公園。噴水や小川があり、子供達が安全に遊べる場所になっています。人間が作った小さな水路や噴水と川とは何が決定的に違うか?川は生きている。水がものを動かし、運び、川を動かします。人間もそうですが、動物など生きているものは次にどう行動するか予測がつきません。山で出くわした熊。襲ってくるか逃げていくかわかりませんね。川も同じで公園の水路のようにポンプがあって毎秒何リットルしか出ない、というものではありません。来年は大洪水?!来月から渇水?!自然条件がどんな形で変動して、生活に降りかかってくるかわからない。そこが川の基本的な特徴です。山があり、流域があり、雨が降って水を流すという自然システム。荒々しさや変動を私たちは完全にコントロールしきれません。自然相手です。だから川は面白いし、大事なんですね。同じような姿を毎日見せるものなら飽きてしまいます。時には脅威になり怖い反面、普段見せる穏やかな姿は魅力的にも見えます。川は厄介なものと思っていたほうが長くお付き合いできるかもしれません。もちろん本気で、が大切です。

渇水と洪水の話

2000年、三重県の中勢地域に厳しい渇水がありました。7月・8月に平年値の半分程度の雨しか降らず水不足になりました。ところが9月の東海豪雨で突然大雨が降った。自然は気まぐれで東海豪雨直前までは渇水で苦しんでいたのに、たった1日で今度は洪水に苦しむ劇的な変化に見舞われました。水不足の時には上流にある君ヶ野ダムに貯めていた水を少しずつ下流に流して飲み水とか農業の水を何とか確保していたんです。それも空になってどうしようか?と追い込まれつつあった最中の豪雨でした。今度は流しすぎると危ないから貯めこまねば、という状況に一変したのです。このような自然の激しい変動は、時には人間の生活に脅威となります。これを何とか柔らかく受け止めて安定を維持するようなシステムを作ろうと思って一生懸命努力してきた、というのが私たち人間の20世紀までの歴史ではなかったでしょうか。この自然の変動を抑える手段としてダムや堰、堤防などを作って実際の生活へ支障が出ることをくい止めてきたわけです。

水量と流速の話

川の特徴である大きな変動。パワーの源泉はどこからくるのか?まず、流量があることがすべての水の働きの原点です。たとえば、プールを満杯にするのに20秒かかる水の量がある川に流れていたとします。それが洪水になると1秒間にプール何杯分かの水がやってくる。水深でいえばひざ・胸あたりで渡れる場所が、洪水がくるとホールの天井の2倍くらいになる。それだけ川の水量というのは大きく変化します。一方、流速は川の水が動く速さのことです。普段私たちがゆっくり歩いて追いつける速さが、洪水になるとマラソン選手の速さほどになります。このような水の流れが力を生み出します。流速が2倍なら受ける力は4倍。この力で石や砂などの川の中にあるものを動かそうとしますが、重い石は簡単には動きません。つまり動く、動かないは、この力とその物の持つ重さの二つのバランスで決まるのです。

3. 川の力による作用

川には流れがあって、それが特に洪水の時にはすごい力を生み出し、それがゆえにどういう働きが出てくるか?そのポイントを4つお話します。

川は物を運ぶ「運び屋」

まず、その水の力による作用の中で、川が運び屋であるのはわかりやすいと思います。上流から下流まで延々と流れていて365日ずっと続いています。洪水のときには土砂とか砂とか石ころを大量に動かします。この作用が海を埋め立てて、多くの人が住んでいる平野を造りました。大体この1万年間で、私たちが今使っている平地のかなりの部分が川の土砂運搬によって造られました。川が行った大仕事です。

川は流域の「鏡」

川が運び屋である以上、平野自体が持っているいろいろな性質は、その土が運ばれてきた上流の流域の山の影響を受けます。川を見ても、あるいは川が作り埋め立ててくれた平野を見ても、その特徴には色濃く上流の山の姿が入っています。つまり、川は単体で存在しているわけではなく、個性があるのです。背後にある大きな流域が作っています。たとえばダムをつくり土砂の流れを一部でも断てば、その分だけそこの土砂の流れがやせ細る。流域で何かを、山のほうで何かをすればその影響は必ず川全体、そして最後には海とか沼とか河口といった所に影響が出てきます。

川の「瀬と淵」の話

さて、川の姿は洪水の時に決まるという話をしました。みなさんは「瀬と淵」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?瀬のところはシャーっと流れるところです。淵というのは深くて流れが遅くてトロンとしているところです。瀬と淵ができるためには川底の形がへこんでいたり出っ張っていたり面白い形をしていなければいけません。コンビネーションがとっても大事なんです。瀬も淵もない、のっぺりとした川は自然環境という点で好ましくないということになります。

川がなりたがっている姿

そうするとなぜ出っ張りができるの?いつできるの?ということになるわけですが、これはやっぱり洪水の時にできるのです。水の流れが壁にぶち当たって、掘られて淵になります。掘った石が集まった所は川底が高くなり、流れが穏やかになればそういうところが瀬になります。つまり、もし改修工事をして一度川底を全部平らにした場合、そのあと洪水がないと瀬と淵はできない。洪水がないと石は動きませんから平らなままなんです。

洪水が川の骨格をつくる

石というのは普段なかなか動かないけれど、一度洪水がくればパワーが100倍、1000倍になるのでいろいろなものを動かしてくれます。だから、自分のなりたい姿になる。それが本来川がなりたがっている姿なんです。普段見ている景色、その骨格の部分はあくまで洪水の時にできて、あとはお化粧を普段するというくらいに思っていたほうがいいですね。

川は氾濫したがっている

川がなりたがっている姿は色々あります。まず、氾濫したがっている、ということです。不幸にして洪水が堤防を越え氾濫すると湖みたいになってしまいます。これは災害です。堤防がないということは太古の姿ですが、堤防がない時と同じようなことが堤防が切れて大災害になった時に起こるわけです。普段は平野の中で細い筋だったものが、自分が作った低地の平野に氾濫したがるというのも川の性質です。

川は蛇行したがっている

次に川は蛇行したがってもいます。人の手が入らない川はなりたい放題になってとにかく蛇行します。まっすぐにしても、また蛇行してしまう。曲がっているところは外側がどんどん掘れていってますます曲がりが進展していきます。そういうところを中途半端に押さえてやろうとするとどうなるか?たとえば曲がっている川の外側に道路を何とか造ってやろうとすると、次に洪水が来るとまた削れて、道路がまたぐちゃぐちゃになってしまうんです。

川は「うろこ」をつくりたがっている

さらに川は「うろこ」をつくりたがっています。平らな砂の斜面に水を流します。最初はまったく平らです。ところが水を流すとなぜか自然にでこぼこができます。これも川がなりたがっている姿です。川自体が蛇行するという話をしました。川を上から見た時、まっすぐ流れていたとしましょう。けれど川底の形は魚のうろこのようにでこぼこしたがります。スキーのこぶ斜面を思い出すとわかりやすいかもしれません。交互に川底が高くなります。こぶとこぶの間を谷間とすると、こぶの頂上から谷間に向かう流れは速くなり、白波が立って瀬になるし、谷間は水が落ち込む場所なのでよどんで淵になります。こぶを乗り越えた早い流れが左右の岸にぶつかるとその部分がえぐられて、はじめは上から見てまっすぐ流れていた川でも結果蛇行することになります。これも川がなりたがっている姿であり、人間が完全に止めるのは難しいものなのです。

4. 川と人間のいろいろな付き合い

このように川は結構いろいろな姿になりたがっています。人間が平らに均したからといって永遠に平らではありませんし勝手に動いてしまいます。この気持ちをどういう姿になりたがっているかというその特徴・特性、これをしっかりわかってやらないと、うまく川と共生できない。では自由にさせてやるのか、やりすぎたら私たちの生活も不便になり、災害になるから、ここだけは止まってくださいねといった、バランスを考えなければなりません。それが川との色々な付き合い方なのです。

川の調査

そこで、そもそも川がどうなりたがっているの?というのがわかっていないといけませんね。これが川の調査の目的です。最終的にどういうふうになりたがっているか。雨、山、その辺の砂、石ころの大きさ、普段どんな水が出るか、洪水の時にどのくらいの流速になるか、いろいろなものを調べてやらなければいけません。今まで国や県でそれを担っていましたが、調べなければいけない項目が増えてきています。普段川を見ている人たちのほうがわかることがあるかもしれませんね。そういうわけで、もっと色々幅広く川の気持ちを調べてやらなければいけないという時代に来ているのです。

川の自然環境

今の話に絡めて、川の自然環境の話をしましょう。川の中には色々な生態系が構成されています。そしてそれらを守りましょう、貴重な動植物を守りましょう、という話があります。一つポイントをあげれば川の中の生き物の活動は、生き物のすみかがあって成り立つわけですが、すみかは何でできているか?ということです。それは水であったり、土砂であったり、あるいはそういう所に繁茂する植物もあれば、川底の材料、川の形であるわけです。こうした川の原点と切り離してはだめなんです。たとえば、ある種の鳥がいて、それだけを保護しようとしてもうまくいきません。なぜあの川にあの鳥が昔いて、今はいなくなったのか、すみかがどう変わったのか。そのすみかの水か、土か、植物か、川の形か、うまく組み合わせて物を見ていく必要があります。さらに川の中の生態系は何が一番面白いのかというと、川の中にいる生物というのは、あるものは頻繁に住処が入れ替わっているところを好みます。日本全国見渡したときに、河原があったり、砂地があったりする場所は、海岸の一部と川ぐらいしかないんですね。日本は湿潤で比較的暖かい気候ですから川の水のパワーとか、波のパワーがなければ、ほっておくと草木が生えて森になってしまいます。そうしたくないなら開墾して水田にして、人間がそれを保つしかないわけです。ところが川だけは、水がしょっちゅう流れていて洪水で壊れることで、所々水面があったり砂地や礫河原がある。そんな貴重な場所を生命線にして生きている生物が結構います。洪水があると川の中の生き物全部が流されてしまってかわいそうだということではなくて、洪水がないと、言い方を変えれば川に動きがないと自然環境は保たれない。このくらいに考えていたほうがいいですね。水があって、土砂があって、植物があって、クルクル変わる中で結構貴重な生態系が営まれていることを意識することがとても大切です。

多摩川とカワラノギクのこと

東京の多摩川でこんな事例がありました。1974年当時、礫河原があった場所に「カワラノギク」という非常に貴重な植物がありました。名前に「河原」とつくほどです。たくさん生えていました。ところが20年後の1994年、河原だったところが全部森林で覆われてしまい「河原」がなくなってしまいました。「河原」はふつう植物が住みにくい所です。夏は暑いし養分も少ない。ほかの植物が入ってこられない場所だからこそ、こうした厳しい環境で何とか生き延びようとしている草花の一種です。ところが河原からどんな植物にも住みごこちのいい森に変わってしまうとカワラノギクの居場所はないわけです。他の種類に圧倒されて今ではほんの一部しか残っていません。一体どうやって復元させたらいいのだろう?たねをとって栽培する方法もありますが川の環境の中で生かしてやるのが一番いいでしょう。つまり特定のものだけ守ればいいのではなく、なぜ河原ができにくくなってしまったのか?といった川のシステムから考えること、これが川の自然環境の保全なのです。

5. 河川の管理について

川は自立・自律していて自由になりたがっています。しかし、氾濫させっぱなしでは災害が起きるので堤防をつくり、蛇行させ放題では土地が削られるため護岸をつくり、洪水が頻繁で浸水するなら余計な洪水をなくすためにダムを造ることになります。災害に苦しむ、渇水に苦しむ、不便な生活、貧しい基盤整備しかできないといったことが人間1万年の歴史の中にあり、川の自由にさせない事をがんばってきたのです。その一方で、川の固定が何を意味するか?環境も含めた自由な動きが川の魅力ですからそれを奪ってしまうと魅力がなくなります。そこで川の自由を尊重する考えがこの10年、20年で出てきています。これはかなり本質的な対立です。たとえば大洪水があったり渇水があったとします。これ以上水が増えると氾濫してしまう、これ以上水が減ると飲み水も田んぼの水も取れない。もし水の量が変動しなければどんなに安心した生活を送れるだろうと素朴に思います。江戸時代はそれ程すごい技術はなかったのですが、明治の近代化以降、特に戦後は大きな工事ができるようになり、ダムというものが非常に有力な手段としてできました。ダムにより余計な水をためて、足りないときは補給することで荒々しい流量の変動が抑えられるようになると、今度はその安定性の確保を前提に、田んぼにもください、飲み水にも使わせてください、となってきました。

河川との共生について

今まで川にやってきたことに対して、これくらいの害のない洪水は許そう、これぐらいの渇水は我慢しようといった、川の自由を尊重する意見で難しいのは、それでも困っている人がいるのでどうやって説得するか、ということです。災害も起きない、渇水もない、全然不便もない、今までどおり水も使う、という良い事ずくめの条件でそれをやれと言われても相当大変なので、どこか妥協して折り合いをつける必要が出てきます。それだけの覚悟が私たちの中にあるでしょうか?改修工事を例にあげましょう。川筋からずっと離れた場所に堤防を作れば、もともとの河道のシステムにふれることなく所定の洪水の量を安全に流させてやることができる。けれど人間の気持ちとしてはできれば広い土地を自由に使いたいと思うわけです。家を建てたい、工場にしたい、田畑を作りたい。そして堤防を川に近づけて作ったのはいいけど、どうやって所定の洪水の流量を安全に流すのか?よくあるのは川底を掘ることです。もし水が流れる部分を確保したいからといって、川を横に広げて無理に幅広くしてしまうと水深や流速が遅くなって石が動かなくなることがあります。そうすると一度平らにした川はずっと平らのままで変動もなく、川の活力が失われてしまいます。それならもっと高い堤防をつくってしのごうと思っても洪水の圧力がすごくなるため、万一破壊されたときに大災害になるのです。ある程度の高さで抑えたいですね。ではダムを使って洪水の時の流量自体を抑えるか。だけどやりすぎると流量が単調になってしまい別の意味でパワーがなくなってしまいます。しかし何とか解決しなければいけません。たぶんそれが21世紀をまわった今、私たちに突きつけられている大きな課題です。自然の都合で評価した川(以下、自然系)と、人間の都合で評価した川(以下、人工系)。原始時代は圧倒的に自然系が強かったのですが20世紀までの人間活動により人工系が強くなってきました。けれど川の自由を奪うことが強くなり、私たちの生活にも問題をもたらすのではないかと懸念が出てきました。自然系と人工系の折り合いをどこでつけたらいいのか。折り合いのつけ方にしても川ごとに全然違います。川は流域の鏡ですし、そこには色々な人たちが住んでいます。その川の流域に長く住んでいる方、川から色々な害も受けるけど利益も受ける方、非常にいいことを味わう方。とにかく色々な人々が真剣に考えて川ごとに答えを求めていく。四苦八苦して、でも楽しむ。そんなことが目指すべきひとつの姿のように思います。

川の特徴と水の利用

昔であれば自然対人間の対立、ということでよかったのですが、今は自然系にも人工系にも、人間ががんばらなければいけない時代になってきました。けれど、この人工系にも、たとえば水の利用でいえば飲み水に使いたい、工業用水に使いたい、農業用にしたい、と様々です。それらのバランスをとるのも非常に難しいわけですね。そのあたりが本当の共生でもあり、全部で100点を取ることはありえないと学んだのがこの20世紀だったのではないでしょうか?

まとめ

いずれにしても、川の実態、この川はどういう特徴を持っているのか?何でこの川は非常に魅力があるのか?この川の動き方は何か?こういうことをしっかり勉強しないことには始まりません。その大事さを強調させていただきました。はじめに申し上げたようにこうやれば良い、すべて万々歳、ということではなくて私たちが結構難しい局面にきていること、様々な目標を抱えて、その中で何を優先してどう折り合いをつけたらいいか、簡単には解けない状況に来ているといった辛口的なところを申し上げました。ただ、やはり実態を真正面から見据えないことには本当の意味の前進にはつながりません。このような川と人とが抱える課題に深みがあるからこそ、長続きするというか、いっそう面白い関係を築くチャンスがあるのではないか?そういうことを申し上げたくて話をさせていただきました。どうもありがとうございました。(藤田光一)